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なかなか難しいですが…

公開日
2011/10/21
更新日
2011/10/21

ニュース

 「いじめの根絶」… 言うのは簡単ですが、なかなか難しいですね。

 何年も前から、漫画「ドラえもん」の登場人物が、いじめの構図を説明する際、引き合いに出されます。

・ジャイアン:いじめの加害者

・のび太:いじめの被害者

・スネ夫:いじめの観客(いじめをはやし立てる。)

・しずか:いじめの傍観者(いじめを知っていて、知らない振りを決め込む。)

 この構図の中では、「いじめ」はずっと続いていきます。のび太は、ドラえもんに道具を出してもらって、逃げたり、時には仕返しをしたりすることができますが、最終的にはまた、ジャイアンにやられてしまいます。

 また、ドラえもんは架空のキャラクターで、残念ながら、学級・学校・会社等には絶対に存在しません。

 唯一、いじめを止めてくれる立場になり得るのが「報告者」です。しかし、一つ間違えると、「ちくった存在」になり、被害者に加えられることになるため、学級や学校でもなかなか出てきません。

 そして「報告者」に加えて必要なのが、その勇気ある行動を受けとめられる人間です。

 学級で考えれば、「いじめられている子が可哀想だ」「いじめている子が許せない」という『正しい判断のできる児童』と、「もし自分のクラスにいじめがあったら、どんな努力をしてでもなくして(解決して)いこう」という『一人一人の存在を大事にできる担任』が必要なことになります。

 外見,性格,学力,運動神経等など、何をとっても個人差があります。「痩せている子がいれば、太っている子もいる」「大人しくて無口な子がいれば、元気で多弁な子もいる」「教科の勉強が得意でない子がいれば、どんな教科もまんべんなくできる子もいる」「走るのが遅い子がいれば、速い子もいる」等など。

 しかも、この個人差が「差別」や「いじめ」の原因になることがほとんどです。

 親御さんにもそれぞれの考えがあると思いますが、ご自分のお子さんが、「いじめられっ子」になっても、「いじめっ子」になっても辛くはありませんか?

 たとえ自分の子どもでも、なかなか思い通りには育ちませんが、少なくともその両者にはなって欲しくないはずです。

 いじめられている子もいじめている子も、なかなか親には話せません。

 時にはストレートに、「おまえ、学校でいじめられていないだろうな。」とか、「おまえ、学校でいじめなんかしていないだろうな。」と聞いてみるのも効果あるかも知れません。

 家でも学校でも良い子でいられる子は少ないですので、意外と、家で良い子の時は、学校で余り良くない時もあったりします(すいません。この一文は蛇足かも知れません)。