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韓国からの国際電話

公開日
2011/08/23
更新日
2011/08/23

ニュース

 昨日、韓国から国際電話(携帯)が入りました。

 お名前を伺いましたが、HPには出せませんので、電話の主はAさんとしておきます。

 Aさんには韓国の知人がお見えになり、その方のお母さんが陶原小学校(陶原国民学校)に在籍してみえた…ということでした。

 「その女性(恐らく70歳代半ば)が、陶原国民学校に在籍したことが分かる様な名簿が残っていないか?」という問い合わせでした。

 本校の歴史に詳しい職員に頼んで、金庫や書棚の中を探してもらいましたが、氏名が分かるものとしては『卒業者名簿』しか見つかりませんでした。

 ご本人は、5年生修了間際に学校を去り、韓国へ帰ってしまっていたため、残念ながら『卒業者名簿』には名前が載りませんでした。

 前任校の祖母懐小でも、夏季休業中に、韓国から5・6名の来客があったことを思い出しました。

 8月というと、6日・9日の「原爆記念日(広島・長崎)」や15日の「終戦記念日」など、第2次世界大戦(太平洋戦争)を振り返る日があります。

 戦時中を日本で過ごした(過ごすことになった)韓国人の皆さんが、たくさんお見えになったとも聞きます。

 特に瀬戸市では、陶土の採掘などの仕事に従事されたと…。

 祖母懐小の時には、韓国からお持ちになった当時の写真と、ほぼ同じ時期の写真が学校に残っており、それをご覧になって、涙を流されていました。

 今回、せっかくの依頼にはお応えすることができませんでしたが、同級生の名簿には関心を持ってみえました。

 数十年前のものとはいえ、『個人情報』にあたりますので、「個人の判断でコピーをお渡しすることはできません」とお答えしましたが、「どうしても必要だ(欲しい)」ということであれば、「教育委員会へ相談してみますよ」と付け加えておきました。

 ついでと言っては何ですが、「旧校歌が知りたいのだが、何か資料はないだろうか?」という問い合わせを時々頂戴します。その度に、コピーをお渡ししたりしておりますが、以下に載せておきます。「覚えていて歌えるよ」という方もたくさん見えるかも知れませんが…。

 『校歌』 

 作詞 平子呉江(監修 八木幸太郎) 作曲 中尾玉渓(監修 安田俊高)

1 朝な夕なに勇ましく  み空をつきて立ち上る  
 窯の煙のにぎわいは  わが住む里のほまれなり

2 昔春慶景正が  海路も遠き唐土に
 学び帰りし陶の業  開きてここに七百年

3 源遠き瀬戸川の  松の梢を仰ぎ見る
 学びの庭に雪を積み  螢集めんいざ共に

4 六とせ八とせの業終へて  わが世に出でんその時は
 励げまざらめや里の為  盡(つく)さざらめや国の為