学区が使用している愛知用水の水
- 公開日
- 2008/12/24
- 更新日
- 2008/12/24
学校だより
昔、水道のない頃は井戸を堀り、生活用水を手に入れていました。昭和の初めになり、瀬戸では浄水場がつくられ、次第に瀬戸の中心部より上水道の普及が始まっていきました。
この学区では、現在、愛知用水の水を生活のときの水として使っています。この水の流れは、愛知用水→高蔵寺浄水場→上陣屋配水場(下写真参照)と、愛知池→尾張東部浄水場→上陣屋配水場という水路を通り、この学区へと水が運ばれています。
そこで、この愛知用水について、少し調べてみました。愛知用水とは、木曾川から瀬戸の西部を通り、知多半島の先端までの約120キロメートルを結ぶ用水路です。特に愛知用水ができるまでは、知多半島は慢性の水不足に悩み、およそ3年に一度は大干ばつに見回れ、農作物が壊滅的な打撃を受けていました。そこで、そのような知多半島を緑あふれる大地に変えようと、ある篤農家と若き農業高校教師が立ち上がりました。しかし、知多半島からはるかに北の内陸を流れる木曾川から水をひこうという無謀な考え、目のくらむような巨額の資金、長期間にわたる大規模な工事の計画に対し、多くの人々は夢物語のように思っていました。しかし、2人は粘り強く人々に呼びかけ、説得し、組織をつくり、国にかけあいました。その彼らの熱意はついに国を動かし、愛知用水の建設が始まりました。しかし、それは、なまやさしい工事ではありませんでした。荒々しい自然と格闘する中で、多くの殉職者が出てしまったのです。そのような空前の難工事の末、昭和36年に愛知用水が完成するに至ったのでした。
そのような話を聞くと、愛知用水の水は多くの人々の命をかけた水であり、現在使用している水の大切さを再認識していきたいと思います。
「↓上陣屋配水場」