瀬戸球場(東山小 今昔物語1)
- 公開日
- 2010/10/06
- 更新日
- 2010/10/06
学校だより
「元UFJ銀行瀬戸総合運動場(現ガーデンヒルズ瀬戸東山)にあった瀬戸球場」
東山町に元UFJ銀行瀬戸総合運動場(現ガーデンヒルズ瀬戸東山)がありました。そこからは輝かしい成績をおさめた多くの陸上選手が巣立っていきました。そこでそのグランドのある場所の昔を調べてみました。古くはこの地は鴨ケ洞池下池として、農業用の溜め池として使われており、その名残りとして現在でも水路は少し違いますが、池から田畑へ水を流していたと思われる川(勘右衛門川)がグランドの南にあります。
昭和5年には瀬戸で唯一の大きな球場「瀬戸球場」がこの地に造られました。この球場は昭和18年頃まであり、ここではさまざまな活動が行われました。そのうちのいくつかを紹介すると、まず、球場のこけら落としには、三田・稲門戦(現早慶戦)が行われ数千人の観衆が、当時最高のプレーを楽しみました。また、当時の瀬戸の学校は、運動場が狭いところもあったため、そういう学校の子どもたちに思いきり運動をさせようと、昭和7年よりこの球場に市内の全学校の子どもたちがこの地に集まり「合同運動会」が行われていました。その他、市内の産業報国会が一堂に会し、連合運動会を行っていたそうです。
その後、この場所に、「尾張時計」という工場が建てられたそうです。
終戦後、この工場も諸事情により、この場所からなくなってしまい、そのあと、この地は東海銀行(現UFJ銀行)のものとなり、UFJ銀行グランドになりました。しかし、現在ではこのグランドもなくなり、ガーデンヒルズ瀬戸東山という住宅街に生まれ変わりました。
「↓瀬戸球場(現ガーデンヒルズ瀬戸東山)で行われていた合同運動会のようす」