「はたとうの風20号」
- 公開日
- 2011/12/16
- 更新日
- 2011/12/16
はたとうの風
日一日と寒さが身にしみる気候となりました。学校だよりの『はたとうの風20号』で、コラムニストの志賀内泰弘さんからいただいた手紙に付けられていた「心温まるお話」を紹介しました。※中日新聞連載『ほろほろ通信』より
— 感動のキャッチボール —
☆おばさんのおべんとう☆
今から三十六年前のこと。名古屋市北区で中古車販売会社を営む河合孝治さん(四一)は、母親を亡くして父親と二人暮らしをしていた。それを見かねてか公団住宅の隣室のおばさんが、幼稚園に出掛ける前に毎朝お弁当を作って持たせてくれた。いつも工夫を凝らした内容で、今でも忘れられないという。
後になって父親から聞いた話。
おばさんに食費の代金を持ってお礼に行ったところ、突然怒り出した。「私は夫と息子の『ついで』に弁当を作っているだけです。だからお金はいりません。もしお金を払うのなら作りませんよ!」おいしいお弁当は、河合さんが小学校に入学するまで続いたという。
今、従業員のK君と一緒に昼のお弁当を食べている。河合さんのは奥さんが、K君のは母親が作ってくれたものだ。K君が「いただきます」を言わずに食べ始めるのが気になっていた。あのおばさんのことが頭にあり、「家に帰ったら『ありがとう、おいしかったよ』と言いなさい」と話した。
K君は照れくさかったらしいが、母親にそう言ったところ大変喜んでくれたという。以後、K君は食事前に「いただきます」と言うようになった。
河合さんは小学二年の時に引っ越したため、おばさんの名前を思い出せない。父親も記憶にないという。公団住宅も取り壊されてしまった。「守山区幸心住宅A36に住んでいた河合です。おばさんのおかげで幸せに暮らしています。もしご顕在でしたらご連絡ください」と河合さん。ぜひお目にかかってお礼を言いたいと。かすかな記憶では、ご主人は警察官だったらしい。
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次の「ほろほろ通信」です。
☆「おばさんからの手紙」☆
十六日付「ほろほろ通信」で、河合孝治(四一)の思い出話を紹介した。母親を早くに亡くして父親との二人暮らし。それを見かねた同じ公団住宅のおばさんが、幼稚園に毎朝持たせてくれたお弁当が今でも忘れられない。今自分があるのは、あのおばさんのおかげです。ぜひお目にかかってお礼が言いたいという話だ。
翌々日、社会部に一通の便りが届いた。「何げなく読み始めて、アレッ私のことだと確信しました。あの孝治君が素晴らしい人間に成長していたこと、あのお弁当のことを忘れないでいてくれたこと。鳥肌が立ち何回も読み返しては涙があふれてきました。自分の娘の成長の節目ごとに、孝治君はどうしているかなと考えることがありました。今も当時のお顔をはっきりと思い出せます。今、私たち夫婦は春日井市に引っ越してきて三十年余り。七十と六十七のおじいさん、おばあさんです。孫もでき元気に趣味を楽しみながら暮らしています。どうぞこれからも、今の温かい心を持ち続け、ご家族を大切にしてご活躍されることをお祈りしています。」
ぜひ、二人をお引き合わせしたいと思ったが、手紙にはこんな言葉が添えられていた。「『お礼を』とのことですが、もうこれだけで十分です。お礼を申し上げたいのは私の方でございます。ずいぶん迷いましたが、住所・氏名は伏せさせていただくことにしました。孝治君によろしくお伝えくださいませ。春日井H・S」
河合さんからH・Sさんへ返事を預かった。
「父親も喜んでいます。できれば会ってお礼を申し上げたいと。でも、負担をかけないようにとの気遣いなのでしょう。実は、私の自宅も春日井。ひょっとすると、この三十年の間にどこかですれ違っていたかもしれません。本当にありがとうございました。」
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幼い頃、私も公団住宅に住んでいたことがあり、この『ほろほろ通信』を読んで、四十数年前の隣近所のおばちゃんたちのことが懐かしく思い出されました。やんちゃな子どもでしたので、叱られたことも多くありましたが、今では、家庭の事情で困っていた時やさみしかった時によく声をかけてくださった記憶の方が蘇ります。大らかな気持ちで見守り、温かな笑顔と優しい言葉を与えてくださったことが、この年になっても思い出の中にじんわりと残っています。
二学期、学校の子どもたちは、いろいろな機会に地域の人たちと交流をしました。幡東の子にも心に残る人がいることでしょう。年の暮れ、お世話になった人や人の温かさを思い起こし、支えてもらったことへの感謝の気持ちを大切にしたいと思います。