学校日記

辻井いつ子さんの教育講演会

公開日
2011/05/12
更新日
2011/05/12

はたとうの風

ピアニストである辻井伸行さんの母親、辻井いつ子さんの講演を聞いてきました。内容は、母親としてどうかかわってきたかという子育てのお話でした。
メモから一部をお知らせします。

・私の子どもは、全盲で生まれてきた。光も感じない。手術ができない状態だった。
・「フロックスは私の目」という一冊の本に出合って気持ちが楽になった。
・著者の福沢さんと会い、子育ての相談をした。福沢さんの回答はいたってシンプルで「普通にやればいい」ということだった。

・普通に接して話をする。行きたいところへ行く。見えないからかわいそうではなく、見えなくても楽しめる。花見や花火にも行き、花びらや木の感触や花火の音を楽しみ、想像力を働かせた。
・物には色があることを教えるのが難しかったが、食べ物で色を教えた。「好きな卵焼きは黄色だよ。タンポポも卵焼きと同じ黄色だよ。」「他の物は?」と興味を持つ。ひよこ、バナナ…。次第に色が増えていった。
・テレビのインタビューで「どんな色が好きか」と聞かれ、彼は「僕は海が好きだから、ブルー」と答えていた。彼なりに色のイメージができていたと思う。

・音楽の才能は、8ヶ月で気づいた。英雄ポロネーズの曲に合わせて、足でリズムをとる音に合わせて体を動かす。お気に入りは、ショパン。毎日必ず聞いていた。
・音が悪くなったので、新しいCDを買う。しかし、同じ英雄ポロネーズの曲なのにまったく反応しない。むっつりしてしまう。前のものはブーニンの弾いたものだった。今度のものは巨匠と言われる人が弾いたものだったが…。
・ブーニンのものを聞かせると、またにこにこして聞く。演奏の違いを聞き分ける耳を持っていた。

・赤ちゃんは、母親とのアイコンタクト、母親の笑顔の手招きでハイハイをする。しかし、鈴を鳴らしても、ハイハイしなかった。アイコンタクトができない難しさを感じた。

・おもちゃのピアノを買って与えたところ、それでよく遊ぶようになった。
・2歳3ヶ月の頃、12月に私が鼻歌を歌っていたら、突然、鼻歌に合わせてピアノを弾き出した。だれも教えていないのに、右手、左手で「ジングルベル」の曲を弾いた。
・音を再現する力があることを発見した。
・子育てに幸せを感じていなかったが、歌うとすぐに弾いてくれて嬉しくなった。

・音に敏感なことは、悪い方に働くこともある。掃除機の音に怯えた。この音を聞くと火がついたように泣く。スーパーの店内でかかっている、おじさんのしわがれ声の「いらっしゃいませ」のテープ音もだめ。

・本物に触れさせようと思い、ピアノが弾ける人に週に1回いろいろな曲を弾いてもらった。その時、お願いしたことは、彼がピアノを嫌いにならないようにすることだけ。
・彼はピアノが大好きになった。楽しい時間となった。1曲弾けるだけでよいと思っていたが、5歳になった時、いろいろな曲が弾けるようになった。

・この年の時、ピアニストの原点になった出来事があった。サイパンに遊びに行った時のこと。ショッピングセンターに入ったらピアノの音がかかっていた。自動演奏のピアノだった。「人が弾いているんではないよ」と言ったら、「自分が弾きたい」と言い張った。自動演奏を解除して弾かしてもらった。その時の曲は、リチャード・クレイダーマンの「なぎさのアデリーヌ」
・人が集まり、ものすごい拍手を受ける。「ブラボー」と言われる。かわるがわるだっこされて、キスされた。本人はとっても嬉しそうだった。人前での初めての演奏だった。人が喜んでくれる嬉しさを味わった。
・音楽が、この子を明るい方向へつれていってくれると思った。運命がよい方向に動くと感じた。

・ピアノの先生として川上昌裕先生を紹介してもらった。先生の生徒第1号となった。
・週2回レッスン。秋には全日本盲学生コンテストに出ることになった。小学1年生だった。他は中学生や高校生。部門別ではなく、全員一緒に競い合った。第3位中学生、第2位高校生、第1位辻井伸行、初出場で初優勝だった。

・将来への夢を持った。いろいろなコンテストに出てみたいと、自分から進んでピアノを喜んでやった。
・5年生の時、一般コンクールに参加した。1000人の中から、決勝40人に入った。
・我が子の演奏に「なんであんなに速く弾いたの」「あそこ間違えた」と否定的な言葉を言う親がいた。私はピアノが出来ないので、とにかく素直に「すごいね」とほめた。伸行は「お母さんが、もしああだったらやる気がなくなるよ」と言っていた。そして、優勝した。ほめることの大切さを思った。子どもには、親が無条件にほめてあげたい。
・学校の成績でも、がんばった70点ならほめてあげたい。結果だけを見てしまうのではなく、プロセスを見てあげたい。
・子どもが素直に聞く耳を持つように、否定的な言葉をやめた。まずは、誉めてから、その上で注意を言うようにした。

・優勝して、このままピアノの道に進路を決めた。しかし、ピアノばかりやっていたのではない。水泳も好き。小学校から中学校までスイミングスクールに通っていた。今でも、気分転換に泳ぐそうだ。スキーにも行く。山登りも行く。乗馬もする。危ないよと言って何もさせないより、新しい何か、やってみたいことをやる中で何かが得られると考えた。

・中学生の時、ピアノの先生ともめたことがあった。10日後にコンテストを控えていたので、学校行事の山登りを止めようということになった。本人はふさぎ込んだ。どうしても行きたいと言う。私は行かせることにした。普通では考えられないことだった。彼は、帰ってきて、山登りのこと、水がおいしかったことを話した。この楽しい体験が音に反映した。

・いろいろな人との出合いが、彼を成長させた。
・外国で活躍している指揮者:佐渡裕さんを知った。佐渡さんに演奏を聴いてもらいたいと、だめもとでテープを送った。やらなければ、1%の可能性もなくなる。
・佐渡さんはテープを聴き、「ピアノの音に透明感がある」「弾いた子に会ってみたい」と言われた。楽屋に行き、置いてあったピアノを弾いた。佐渡さんは号泣して「今度、一緒にやろう」と言ってくれた。息子も、「きょうはいい日だなあ」と言っていた。
・すぐに、佐渡さんから「パリの演奏会に出てみないか」と誘いがあった。夢のチャンスをもらった。
・人との出合いは不思議。そして、また本人の成長になる。

・ピアニストになりたい、世界的なコンクールに出たいという思いが強まる。
・高校2年生の時、ショパンコンクールに出る。セミファイナルの最年少だった。
・2009年、20歳の記念にバン・クライバーンコンクールに出る。最終6名のファイナリストになった。3位無し。そして、1位は中国の男性。続いて、バーン氏が「ツジイ!」と言った。1位が二人いたのだった。映画のシーンのよう。本人のうれし泣きを初めて見た。がんばって、あきらめないでやってきたこれまでのご褒美を神様がくれたと思った。

・マイナスからの子育てだったが、本人が好きでやっていることに、親が子どもの可能性を信じられなかったら、誰が信じてやれるのか。人間の持っている可能性を彼から知った。あきらめないで、一つのことに向かって進んでいけば道は拓ける。
・あきらめないで積み重ねていくことが、突破口になる。
・ものごとをあまり長いスパンで考えないこと。とりあえず、今日の1日のことを100%やろうとやってきた。1日1日の積み重ねが大事。


※長い紹介になりましたが、子どもたちを育てる立場にいる者として考えさせられることが多くありました。辻井いつ子さんから、「子育てメールマガジン」が配信されています。
http://kosodate-hiroba.net/m