そうじ考
- 公開日
- 2010/12/05
- 更新日
- 2010/12/05
はたとうの風
そうじ小説『なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?』の著者、志賀内泰弘氏の体験談を紹介したいと思います。志賀内氏の小説に込めたメッセージが分かり共感できます。※一部省略してあります。
『地下鉄に乗った。目の前に大学生と思しき青年が座っている。紙パックジュースを片手にパンを食べている。今どき、別に珍しいことではない。
青年は食べ終わると、パンの袋を細かく畳んだ。「ほほう、感心感心。ちゃんと持ち帰るんだな」
ところがどっこい。電車がホームに着くと、そのビニール袋をまるめた塊を、シートの背とお尻の間のすき間に押し込んだのだ。さらに、空の紙パックを足元に置いたまま下車してしまった。
さて、こんな時、皆さんならどうされるだろうか。1、大きな声で、「ゴミはどうするの!」と注意する。2、ゴミを持って青年を追いかけ、手渡す。3、眉をしかめるが何もしない。・・・などなど。下手に注意をして、グサッと刺されるかもしれない。正義感もほどほどにしないと、命に支障があるかもしれないという世知辛い世の中である。
ある時、新幹線でこんな光景に出くわした。斜め前に座っていた五十代のサラリーマン二人連れが途中の駅で降りた。座席の前のポケットには、食べ終えた駅弁とビールの空き缶が押し込んであった。それを見て、「なんて奴らだ」と思った。
終点の東京駅で下りようと身支度をしていると、前に座っていた同じく五十代のサラリーマンが、通りをはさんだ座席に行き、サッと駅弁の箱と空き缶を取り出し、デッキへと歩いて行った。自分の食べたゴミではないのに。その姿があまりにもさりげなくカッコよかったので、「やられた!」と思った。
そうなのだ。ゴミを残して行った輩を咎めるわけではない。それでいて、見て見ぬフリというわけでもない。気が付いていたら黙って「自分が」片づけるという方法があった。
何年か前に亡くなった「心の師」のこんな言葉を思い出した。
「ゴミを捨てる人は大切な何かを一緒に捨てている。ゴミを拾う人は、大切な何かを一緒に拾っている」。あるお坊さんにも似た話を聞いたことがある。「ゴミを捨てる人は、運を捨てている。ゴミを拾う人は運を拾っている」。
けっしてゴミを捨てた人への皮肉ではない。批判・非難でもない。「拾わせてもらって、ありがとう。おかげで、大切な何かを私がもらえました」。そう思うと素直に体が動く。
その真似ではないが、冒頭の青年が置き去りにしたゴミ。慌てて拾って電車を降り、ゴミ箱へ捨てた。ただし・・・・。まだまだ修行が足りないので、その青年の背中に向かって、「おバカだねえ、不幸になるよ」と心の中で呟いてしまった。
5日(日曜)、公民館の大掃除があり、公民館周辺の落ち葉やゴミ拾いを行いました。紙くずや空き缶はほとんど捨てられておらず、地域の人たちのモラルの高さや日ごろから清掃活動に取り組んでみえることに気づきました。
9日(木曜)、子どもたちが地域に出かけて行って清掃活動「山口クリーン作戦」を行います。ゴミ拾い活動をしながら、何を感じどんなことに気づくでしょうか。