学校日記

社会科のつぶやき『広がった西洋医学』

公開日
2020/04/14
更新日
2020/04/14

校内風景

人間は「○○してはいけない」と言われるよりも、「○○しよう」と言われた方が気持ちも前向きになれるものです。自宅でできることをSNSで発信し、共感の輪が広がっているようです。大変な状況だからこそ、「やれないこと」に目を向けるのではなく、「やれること」に目を向けていきたいと思います。
さて、昨日に引き続き、日本で感染症が広がった歴史を掘り下げてみようと思います。今日の話は「データが語る日本の歴史(歴史教育者協議会)」を参考にしました。
江戸時代は長い間、鎖国が続きましたが、18世紀末になると、ヨーロッパから医学が伝わります。いわゆる「西洋医学」です。それまでの日本は、薬草を中心とした「東洋医学」による治療法が中心でした。この「西洋医学」の普及を後押ししたのが、杉田玄白などがまとめた「解体新書」です。より正確な人体の内部について、丁寧に日本語で説明した書物は、人々に「西洋医学」の知らしめるきっかけとなりました。その影響もあり、前回紹介した天然痘の治療法も日本に広がっていきました。
しかし、19世紀に入ると、外国船が日本近海へたびたび現れ、交易などを求めて接近するようになります。その頃から、また別の感染症が国内で流行し始めます。「コレラ」です。この病気は、「コレラ菌」に汚染された水や食物を通して伝染するもので、激しい下痢や高熱となり、場合によっては死に至りました。当時、100万人ほどが生活していた江戸では、多い時に1年で3〜4万人の死者が出たという記録もあります。当時、特効薬も治療法もまだ解明されていない「不治の病」に人々は恐れを抱きました。
この「コレラ菌」は、1883年にドイツの細菌学者コッホによって明らかにされましたが、正体不明の病に対し、ひたすら「隔離」「消毒」しかありませんでした。「外国から故意に菌が持ち込まれた」などというデマも出回り、社会は大きく混乱したようです。
いつの時代も、人間は不安が大きくなると、物事を良くない方向に考えがちです。もちろん、最悪の備えは必要かもしれませんが、自分自身が持っている情報が本当に正確なものなのか、周囲に流されてしまってはいないだろうか、自分を客観的に見ることが重要です。あらゆる情報が得られる現代だからこそ、情報の正確性を見極める「情報リテラシー」を身に付けていきたいものです。
次回は、感染症を克服しようとした昔の人々の営みについて紹介したいと思います。