学校の沿革
- 公開日
- 2011/05/13
- 更新日
- 2011/05/13
東山小学校の沿革
昭和47年,4月1日,大きくなった效範小学校から分かれ,児童数437名の新しい学校がこの東山の地に新設された。瀬戸市の最も西に位置した学校で,鴨ヶ池をを埋め立てて建設された。森林に囲まれていたため,リス,カモ,オシドリ,コジュケイなどの小動物が多く見られた。
平成9年ごろから,学校の北東の山が開かれ,宅地化が進むようになった。それにあわせ,学校の南の道路が整備された。運動場の南側にあったプールも校舎の西側に移動し,プールのあった場所は道路になった。森に囲まれていた東山小学校は,北側の少年院のまわりの緑を残すだけで,北をのぞく3方が全く開かれてしまい,それまでの東山小学校とは,大きく趣を変えることとなった。
学校の北東に開かれた「やまて坂」は,次々に家が建てられた。また旧UFJ銀行のグラウンド跡地の宅地化で170戸ができ,瀬戸高校の裏手から北にかけても宅地化が進んでいる。さらに、ケアプラザの前が宅地化され、住宅が次々と建てられている。
そのため、児童数が急増し、教室が足りなくなり、平成19年度には校舎の東側が増設され、8教室が増えた。
平成23年4月現在、1・2・4年生各5学級、3・5・6年生は各4学級、特別支援学級2学級の全部で29学級、全校児童900名の瀬戸市で一番大きな小学校になっている。